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毎日の生活の中で、家族のために一生懸命に働いているお父さんやお母さん、そんな両親を支える優しいお兄さんやお姉さん、ひとり暮らしでも精一杯元気に頑張っている方、厳しい現実に少し心弱くしている方、心しぼみ希望が持てなくなりそうになっている方、夢に向かって邁進している方、かたや夢破れて疲れ、もう一歩も歩めそうにない方、でもみんな一生懸命に生きています。
2006年5月5日(水) 「友達はいいもんだ−あなたにありがとう」
最近中山真理さんの詩に魅せられてこのブログでも彼女の詩を何度か紹介しました。
きっかけは小6の息子が学校からいただいた楽譜綴りです。
その中に綴られた中山真理さんの詩はとても素敵な感性で綴られたものばかりです。
友達はいいもんだシリーズ第2弾としてもうひとつだけ紹介します。
タイトルは「あなたにありがとう」です。
「あなたにありがとう」
中山真理
あなたがいたから 頑張ってこられたんだね
ひとりぼっちなら とうにくじけてた
あなたがいたから 元気でいられたんだね
いつも 励ましてくれてたからだね
どんな時も 支えてもらったから
つらいこと いやなこと いつしか 忘れてた
あなたにありがとう
ありがとう ありがとう
いつまでも だいじな宝物
そばに いたこと
あなたがいたから 楽しく過ごせたんだね
けんかをした日は 笑えなかったよ
あなたがいたから 優しくなれたんだよね
いじわるな気持ち 消えて行ったよね
どんな時も 支えてもらったから
つらいこと いやなこと いつしか 忘れてた
あなたにありがとう
ありがとう ありがとう
いつまでも だいじな宝物
そばに いたこと
そばに いたこと
自分のことを本当に一生懸命考えてくれて支えてくれる友がいるということは本当にありがたいことです。
私にもそのような友がいますよ。
そしてそのような友は、本当に大切な宝物です。
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2006年5月4日(火) 「友達はいいもんだ−教室のペンキ塗り」
高校時代の友人たちはみんな気持ちのいいやつばかりでした。
高校生活3年間のクラスの仲間たちとの青春の思い出は、本当に数多く、私にとってそのひとつひとつが大切な宝物です。
私は沖縄県立普天間高校の30期生ですが、3年13組のあのクラスで過ごした1年は、私の人生で最高のひとときのひとつでした。
走馬燈のように蘇る多くの良き思い出がまさに凝縮された1年間です。
今日は良き青春の思い出「教室のペンキ塗り」を紹介します。
28年前の5月、ちょうどこの時期の懐かしい思い出です。
理科ビルの隣に建っていた私たちの校舎は、今ではもう新しい校舎になっていますが、当時はかなり古く、1階部分に4クラス、2階部分に同じく4クラスの2階建てになっていました。
何よりも大変だったのが、戸袋に潜んでいる数十匹のガジャン(蚊)。毎朝雨戸を開けるたびにその数十匹(夏場は百匹以上)のガジャン(蚊)が一斉に総攻撃を仕掛けるため、もうたまりません。
そこで気心知れた数人の男子生徒を招集し、共に作戦会議を開催。すったもんだの挙げ句、女子に内緒で(驚かせるため)教室全体のペンキを塗り直そうと決定しました。
密かに打診した男子生徒全員が、なんと二もなく賛成してくれたのです。涙が出そうになる位感動しました。
早速担任の先生と用務員のおじさんを通じ、校長先生に交渉。なぜかすんなり了承をいただき用具とペンキを準備していただきました。
5月中旬の土曜日と日曜日、男子生徒全員が朝早くから教室に集まり、にぎやかにペンキ塗りの決行です。
例の戸袋から雨戸や内壁、外壁、廊下の天井や柱まで一生懸命塗って新ピカピンです。
22人の元気有り余る男子生徒が力を合わせたものですから、2日間で3年13組の教室だけが全くの新築同様になりました。
翌月曜日の朝、女子生徒たちをはじめ先生方や全校生徒のあの驚きの顔を決して忘れません。
特に同じ校舎の他のクラスのみんなの驚きの顔は本当に最高でした!
ガジャン(蚊)もほとんどいなくなり、五月病の症状を呈する仲間も皆無でまさに快適な学校生活の再スタートです。
さらに、出し抜かれたと感じた他のクラスの全男子生徒が立ち上がり、それぞれにペンキ塗りを始めました。
6月末頃までには、学生だけでひとつの校舎のペンキ塗りを完成させ、リニューアルさせてしまったのです。
青春を謳歌するとはまさにこのことだと自ら納得し、すがすがしい気持ちで一杯でした。
同じ気持ちになれる友や仲間がいるということは本当にいいものです。
ペンキ塗りを提案したとき、みんなが心をひとつにしてくれなければ、決してあのようなことは起こりえなかったと思っています。
気持ちが分かり合える友達は本当に大切な宝物です。
卒業式を終えたクラスの分散会の時、私はオリジナルの曲を作りギターをつま弾きながらみんなに感謝を込めて歌いプレゼントしました。
以下に紹介します。皆さんも味わいながら五月病を吹き飛ばして下さい。
吹き飛ぶかな……?
「わがクラスいつまでも」
作詞・作曲 安里吉隆
1.暖かな日差しが 校庭を包み
桜の花も ちらほら咲き出した
屋根の上では 子猫がうたた寝をしてる
とてものどかな 春の昼下がり
なのに日向で語らう みんなの声が
以前のようには 弾まない
教室では 想い出作り 授業なんて上の空
ああ 学生時代も もうあとわずか
2.共に過ごした日々が 一陣の風と
肩を並べて 通り過ぎて行く
数々の想い出が 走馬燈のように
脳裏を 楽しく 悲しく駆けめぐる
ラララ 服まで真っ白ペンキ塗り
みんなで応援 陸上 *1
ちょっぴり涙の 学園祭
笑いだらけの クリ年会 *2
ああ 青春の想い出を 宝石箱の中へ
*1 校内陸上競技大会
*2 クラスのクリスマス&忘年会
3.たとえ ひとりびとりの歩む道が
違ってて みんな 遠くに離れていても
そして その道が長く 険しくて
ひとり 涙を落としそうになったとき
決してくじけちゃいけない ひとりじゃないさ
みんなの心はひとつさ みんな気持ちのいい奴ばかり
淋しさなんて 雲の上
ああ わがクラス いついつまでも
ラララ……………………………………
ああ わがクラス いついつまでも
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2006年5月3日(月) 「危篤をはねのけたオバーパワー」
母方の祖母、ウサ〜オバーが100歳の頃、足は若干不自由ではありましたが、頭ははっきりしていましたし、健康そのものでした。
サツマイモが大好きで、毎日一食は食膳にあげていました。
とても働き者で清潔好き、いつも身の回りを自分できれいに整え、いつ訪問してもさわやかな印象が残りました。
ウサ〜オバーも先日のブログで紹介したように、御多分に洩れず「かめえかめえオバー」の典型のようなオバーでした。
子や孫が来ると決して空手で帰すようなことはしません。
手元に何もない時、私の母に食べかけのサツマイモを持たせたこともあったほどです。
とにかく心優しい元気なオバーでした。
そんなオバーも年には勝てず、風邪をこじらせてからはずっと入院続きでした。
いつでも見舞いに行けるようにと、私の実家の近くにある病院に移って来ていました。
そんな折、病状が急変し、病院の医師から私の母にウサ〜オバー危篤の連絡が入りました。
その夜が峠で、明朝まではもたないだろうということでした。
家族を集めて最後のお別れをということと、亡くなった場合の衣装等を準備して欲しいとのことでした。
母方の親戚と私たち孫がほとんど全員集まりました。
ウサ〜オバーは、とても穏やかな表情をしていて、さほど苦しむ様子はありません。
意識もほとんどないようで、眠っているかのようです。
私の母はいつものように、オバーの体をさすりながら、一生懸命祈っています。
干潮が早朝の四時頃。年配の方々は、その頃が山だろうと話をしています。
ところが、すべての家族がお別れを告げた後、朝の四時を過ぎても、オバーの体はもっています。
潮止まりが終わり、そろそろ潮が満ち始める頃、なんとオバーは急に薄目を開け、おもむろに「ワンネーヤーサンドー。ヌーガラカマシェー」(私はお腹がすきました。何か食べさせて下さい。)と言うではありませんか。
医師から看護師、私たち全員が驚き、目が点になりました。
急いでおかゆを食べさせ、点滴を追加し、適切な処置が施されました。
なんとその時を境に、オバーはみるみる元気になっていったのです。
本当に不思議な奇跡としか言いようがありません。
その後、オバーは一時期自宅療養できるまでに回復し、子や孫と親しい語らいの時を持ちました。
もちろん大好きなサツマイモも食べながら……。
そして3年後、安らかに103歳の天寿を全うしたのです。
オバーの本当にすごい「生きるバイタリティー」に心から敬服しました。
グソー(霊界)で、最愛の夫である徳唐オジーに再会した時、ウサ〜オバーはオジーを抱きしめながら次のように言ったかもしれません。
「大好きなオジーに早く会いたかったけど、だ〜、おかゆとサツマイモに少し未練があって3年も遅くなったさ〜。オジー、寂しくさせてごめんネ〜。(笑)」
「オバー危篤 医師の知らせに みな揃う 未明に目覚め ワンネーヤーサン(私はお腹すいたよ)」
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2006年5月2日(日) 「働き者(虫?)&名建築家(虫?)−クマゼミの幼虫」
先月の末から今月初めの数日間沖縄は例年のごとく雨でした。
庭の草花はとても喜んでいるようでみんな活き活きとしています。
雨が上がった庭に出て、いつものように花たちに声をかけつつひと花ひと花を愛でていると大きな木の根本にひとつ穴が開いているのを見つけました。
顔を近づけてよくよく見ると、何とクマゼミの幼虫が、2、3日降り続いた雨で壊れたのか、せっせと地面に穴を掘り巣の修繕をやっているようです。
成虫になるため地面から出てきて脱皮する幼虫は何度か見たことがありますが、巣を修繕する幼虫は生まれて始めてみました。
とても器用に土を掘り、そして穴の外へ運び出しています。とても働き者(虫?)です。
なんと、午前から午後にかけて5時間以上ほとんど休まず働き続けました。
あんな小さな身体のどこにあれだけのバイタリティーがあるのか本当に不思議です。
夕方もう一度見てみると穴の入り口は運び出した土でとてもきれいにふさがっています。
まさに家造りの名人です。
わが家の子供たちも、幼虫の名人ぶりに感激し、顔を近づけ、写真に撮り、飽きずにずっと様子を見守っていました。
自然の小さな営みに親子共々とても感動した一日でした。
自然は動物にしろ植物にしろはたまた景色にしろまさに最高の芸術作品です!
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2006年5月1日(土) 「かめえかめえオバー」
103歳で亡くなった私の母方の祖母には、彼女の家を訪問するたびに私たちへ発する口癖がありました。
それは、「かめえかめえ。うりんありん、むるかめえ」です。
それは、「お食べなさい、お食べなさい。これもあれも、みなお食べなさい。」という意味です。
戦時中、筆舌に尽くしがたい艱難辛苦の限りを嘗め、苦悩と極限の飢えを経験したおばあちゃんたち。
平和で何の心配もなく食べられる今の幸せを骨身に染みて知る者が醸し出す優しさなのでしょうか。
沖縄のオバーたちは本当に食べ物の勧め上手です。
たとえ始めて会う人であったとしても、心からのおもてなしを欠かしません。
差し出すものは何であっても構わないのです。
お茶一杯、黒砂糖一個あるいはたとえふかし芋半分であっても……。
空手(素手)で帰してしまっては心苦しいと感じる思いやりの心に溢れています。
このような優しいオバーたちを、私たちは「かめえかめえオバー」と呼んでいます。
そしてそのようなオバーたちのもてなしを、私は「かめえかめえ攻撃」と呼んでいます。
父方、母方双方の実家に出かけおばあちゃんに会う時、いつでもその「かめえかめ攻撃」に見舞われました。
でもそれは、祖母に限ったことでもありませんでした。
小学生の頃、休日になると特に親しい友人たち数人を連れだって、家から三、四キロメートルほど離れた山の中に「探険」と称して入り、様々な楽しい時間を過ごしました。
季節の山菜や野いちご、山ブドウを収穫しては舌鼓を打ち、小川で泳ぎ、エビや小魚を捕まえたりしました。
時には、上流の農業用ダム兼養殖場から、大雨で増水した際に流されてきた色とりどりの鯉を捕まえては、家の庭にこしらえた池に放ったりもしました。
そんな「探険」の時には、貧しかった私たちは、もちろん水筒も一セントのお金も持参しません。
長時間にわたって遊びのどが渇くと、近くのオジーやオバーが住む民家に飛び込んでいきます。
きちんとごあいさつをし、のどが渇いて水をいただきたい旨を丁寧に説明し、お辞儀してお願いします。
すると、満面笑みを浮かべたオジーやオバーは、私たちを玄関先に招き入れ、お水や黒砂糖一個ずつを下さりました。
当時の水道事情のまだまだ良くない沖縄の民家には、雨樋を伝った水を溜める直径一メートル、高さ二メートルほどのコンクリート造りのタンクが一つか二つほどありました。
その中には大抵水浄化用の炭が入っていて、各家庭ではそのタンクの水を沸騰させてから飲料用に置いておきます。
その水がとても甘いのです。
遊び疲れた体には、その水と黒砂糖は疲労回復の格別な妙薬です。
戦争で失った自らの子供たちを思い出すのでしょうか、どのオジーやオバーも、腕白な私たちひとりひとりに優しく接し、温かくもてなしてくれました。
あの優しさと甘い水、甘い黒砂糖の味は、三十数年を経た今でも決して忘れません。
「かめえかめえ うりんありん むるかめえ 勧めるオバー ビタミンI(愛)いっぱい」
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2006年4月30日(日) 「天の恵み−魂の癒し」
今日は、ゴールデンウィーク特別記事。長編です。
もしかしたら読むのに2、3日かかるかも知れません。(笑)
肩こりしないように何回かに分けて読んで下さいね。
それでは……
琉球大学に在籍していた学生の頃、2年間休学し、バイトで貯めたお金を持ってボランティア活動に携わりました。
主に和歌山と大阪を拠点に少しでも人々のお役に立てるようにと、東奔西走しておりました。
大阪城のすぐそば、造幣局へ続く美しい桜並木で有名な淀川沿いの天満橋にも一時期住んでいました。
そこでボランティア活動にいそしんでいた昭和60年夏、石原さんというおじいさんにお会しました。
彼はその年の2月に最愛の奥さんをガンで亡くされていました。その悲しみの上に、3年間の看病生活の末抱えてしまった数百万円もの借金返済に疲れ、真剣に自殺を考えていました。
彼は毎朝3時に起き、新聞配達をされて後、昼間の保険の仕事で街中を駆け回る本当にせわしい毎日を送っておられました。
時間に追われた大変な中、忙しい合間をぬって石原さんとの親しいお付き合いが始まりました。
子供もなく、身寄りのない孤独な彼にとって、話し相手になってくれる人がいるということは、心の支えとなったようでした。
「妻を亡くした寂しさでぽっかりと、しかも大きく穴の空いていた私の心が、何か温かなもので満たされていくようです。」
そのような言葉が石原さんの口から出た時、私はとても嬉しくなりました。
その彼がその後間もないある土曜日、新聞配達の途中、ダンプカーとの接触事故で背骨を強く打ち、1カ月間の病院療養の勧めを医者より言い渡されてしまいました。
骨折等はありませんでしたが、日頃の無理がたたって身体はボロボロでした。しかしながら彼にはそのような経済的、時間的な余裕などありません。
翌日彼の家を訪問した時、初めて前日の事故について知りました。
彼は全く動くことが出来ず、本当に痛々しい様子でした。
私は不公平に思える天を少し恨みました。けれども、その背骨の痛みに苦しむ彼の口から出た言葉は、私を本当に謙遜にさせるものでした。
「安里さん、大丈夫です。これは、私がもっとしっかりと強い心をもって生きるように、天が私に与えて下さった愛のむちです。恨む気持ちは少しもありません。心配しないで下さい。すぐによくなりますよ……。」
私は涙がこぼれそうになりました。
その日から、私の母がそうであったように、毎日朝も昼も夜も、同僚と共に石原さんのために祈り、できる限りの看病をしました。
起き上がり、働いて、借金を返さなければという彼の気持ちには並々ならぬものがありました。
結局3日を経ずして、彼は多少の痛みを訴えながらも仕事に出かけ、1カ月間入院療養が必要との医者の言葉を完全にはねのけてしまいました。
意志の強さのすさまじさを目の当たりにして、本当に感銘を受けました。
そして、そのしばらくの後、謙遜、柔和、純真な心を持つ彼にまさに奇跡としか言いようのない魂の癒しが訪れます!
9月の中旬、私たちのボランティア組織の特別大会が大阪で開催されることになりました。
奉仕の大切さ、家族やその絆の大切さ、真に幸福な家庭や社会を築くための特別な提言がなされる非常に大規模な講演会です。
石原さんにとって心癒される特別な集会になると思い彼をお誘いしました。私たちは石原さんが本当に元気になって欲しいと心から願っていたからです。
しかしながら、その日、単なる心の癒しという奇跡だけでなく、魂の癒しという大きな奇跡が起こりました!
その講演会の前の晩9月14日(土)私と同僚は最後の確認のために石原さんのもとを訪問し、集会へ共に参加して下さるようにお誘いしました。
彼は多少躊躇している様子でしたが参加して下さると約束して下さいました。
はじめ、彼の顔の曇が何を意味するのか分かりませんでしたが、集会に参加するための電車賃を心配しておられることがその様子から次第に判ってきました。
でもあえて参加して下さるようお願いしました。
その後の彼の話から、その時彼が持っていたすべてのお金は2千円だけでした。
そして3日後の火曜日にはかなりの額の借金を返済しなければならず、彼はそのお金を友人の家を廻り、お金を借りるための電車賃に充てようとしていたそうです。
……けれども、彼は講演会に来て下さいました。
心高められるよい話を聞くためには先ず身を清めてからと、私たちが訪問した土曜日の晩220円で風呂に入り、翌日の日曜日会場(神戸)までの往復に1,200円を使い、残りのわずかなお金でバイクにガソリンを入れ、友人を頼りに何とかお金を工面しようと心に決めたそうです。
当日、彼は普段と変わらぬ様子でしたが、殊の外熱心に講演会の話者の話に耳を傾けておられました。
集会中、彼は話者の話に耳を傾けつつ、借金返済のめどが何とか立つように必死に祈っていました。
集会後、彼は心を熱いもので満たしながらも、果たして借金返済のめどを立てることが出来るだろうかとの不安で複雑な気持ちだったようです。
私たちと別れてすぐに何軒か友人のもとへ行かれお金を貸していただけるようお願いしました。……でも結果は惨憺たるものでした……。
疲れた心と体を引きずって小さなアパートに戻ってきた頃には、もうすっかり日も暮れ、言いようのない寂しさと絶望感で押しつぶされそうになっていました。
お金は全く借りることが出来なかったのです。
彼の心の中には天を恨む気持ちは少しもなかったのですが、生きる気力がほとんど失われそうでした。
彼は自殺を意識しながら部屋の中の細々としたものを整理し始めました。
初めに手掛けたのはその年の2月に亡くなられた奥さんの服を納めた数個の箱でした。
子どももなく、最愛の奥さんを亡くされた深い悲しみやあまりにも重すぎる借金苦は、彼をして極限まで追い詰めてしまいました。
しかしながら、この世には奇跡というものが本当に存在します。
私は、心の正直な純真・純朴な人々、日々生きるために精一杯正直に努力する人々を、天は決して見捨てないと確信しました。
死を意識しつつ整理していったその奥さんの服の間から一冊のノートが出てきました。
そしてそのノートには、奥さんが生前蓄えてあった預金通帳や保険の証書がはさまれてあったのです!
さらに、いくつかある証書の保険金額や通帳の預金残高の合計が、彼の持っているすべての借金を支払ってもなお余りがあるというのです!
本当に信じ難いことです。でもこれは事実なのです。
石原さんは、この信じがたい大きな奇跡により、文字通り身も霊も癒されました。
魂の奥底から大きな癒しと大きな喜びを得たのです。彼は次のようにおっしゃいました。
「安里さん、私は出てきたお金を人々のお役に立てるようにも使いたいと思っています。……神様は私に生きる希望と私を決して見捨てないという確信を下さいました。私はそれだけで充分なのです。」
人生を仲睦まじく共に歩んできた最愛の妻(オバー)。その彼女が病床でガンと闘うその傍らで、お金に糸目をつけず必死に看病した石原さん(オジー)。
妻亡き後、孤独と借金苦にどん底まで突き落とされながらも、誠実に正直にそして必死に働き続けた石原さん。
そして極限まで追いつめられ死を覚悟した石原さん。
でも、天は決して彼を見捨てはしなかったのです。
世の人々の少しでもお役に立ちたいとボランティア活動に携わりました。
周りの人が少しでも元気になれるように一生懸命頑張りました。
でも、振り返ってみると、仕えたと思っていた方々から与えたと思っていた以上のすばらしい大きな「心の糧」をいただいていたことがよく分かります。
特にオジーたちやオバーたちからいただいた大きな元気、頑張る力、そして心の癒しは、本当に格別です。
ところで、亡くなった最愛の妻(オバー)は、霊界で次のように独り言を言っているのではないかと気になっています。
「アイエ〜ナ〜!(あら、まあ!)だ〜、オバーは忘れていたさ〜。このグソー(霊界)に来る前にオジーに預金通帳と保険の証書のこと言っておけばよかったさ〜。そしたらオジーはこんな大変な思いしなくてもよかったのに……。ごめんね〜オジー。本当にごめんよ〜。……でもまあ、こんなに人生が変わる大きく貴重な経験が出来たのだから、もういいさ〜ね〜、オジー……。いやでも、本当にごめん……。」
でも、本当はそうではなく、絶体絶命の窮地に立たされたオジーを何とか救いたいという切実なオバーの心が、また、深い愛情と強い願いを込めて、グソー(霊界)から必死に祈るオバーの温かな思いが、オジーの誠実な努力と相まって「魂の癒し」という大きな奇跡を生んだのでしょう。
そうに違いありません。私はそう信じています。
そしてやはり、「慈愛」とそれに基づく「強い願い」は天の力を引き寄せ、奇跡を生む力となるのです。
「亡き妻の 遺品の陰より 証書出づ 天の恵みぞ 魂癒す」
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2006年4月29日(土) 「柔道−19歳石井、最年少V」
日本武道館で行われた柔道の全日本選手権において、初出場の国士舘大生石井慧選手19歳が史上最年少での初優勝を果たしました。
並み居る世界トップクラスの強豪を次々と倒し、決勝ではアテネ五輪100キロ超級金メダリストの鈴木桂治五段を残りわずか6秒で放った大内刈りで有効のポイントを奪い逆転の優勢勝ちを収めました。
「(鈴木選手との)実力はかけ離れている。まぐれで勝てた」と語る石井選手は、序盤から五輪金メダリストの厳しい組み手に苦しみました。
ただ、決して一本を取られないようにすれば必ず勝機はある、最後まで決してあきらめない強い思いで当たれば何とかなる。彼はそう信じていました。
世界のトップを相手に攻めようにも攻められず、消極的と見なされ指導を受けてポイントに差がついてしまいました。苦しい状況のまま時間が進み、敗戦は決定的でした。
でも、彼は決してあきらめませんでした。
残り6秒の絶体絶命のピンチに、「鈴木選手に唯一決まる技」と感じていた組み際の大内刈りを仕掛け、抱きつくように飛び込んで大逆転を果たしてしまいました。
コーチが止めるほど練習し、寝る前までビデオで研究するほどの超努力家の石井選手。
その血の滲むような努力と最後まで決してあきらめないで飛び込んでいくその果敢さが勝利を呼び込みました。
「決してあきらめない心」と「思いの強さ」がもたらす奇跡を目の当たりにし本当に感動しました。
今後のさらなる活躍を期待しています。
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2006年4月28日(金) 「真の友」
先日紹介した詩「すてきな友達」「ケサラの歌」でも分かるように親友とは本当にすばらしいものです。
喜びも悲しみもすべてを分かち合い、時には叱咤激励し、互いにより高い目標をめざして切磋琢磨します。
良き友は人生の本当に大きな宝です。
その良き友、すなわち真の友についてのすてきな詩があります。皆さんも読み味わって下さい。
私をいつも支えてくれる親友たちに贈ります。
「真の友」
真の友とは、死の床に伏しているときにそばにいてもらいたい人である。
真の友とは、また元気でいるときにも共にいたい人である。
真の友とは、問題があるときに自然に相談を持ちかけたくなる人である。
真の友とは、良い知らせを聞いていちばん先に喜んでくれる人である。
真の友とは、問題が解決したときにいちばん先に報告したい人である。
真の友とは、他の人には打ち明けたくないことも打ち明けたい人である。しかし、それでいて私の心の秘密を詮索しようとしない人である。
真の友とは、心が痛むときに頼りにしたい人である。しかし、頼りにしてもそれを利用しない人である。
真の友とは、倒れ伏しているときに、横でひざをかがめてくれる人である。しかし、元気に立ち上がったときにはひざをかがめたことなど忘れている人である。
真の友とは、悲しいときにすがって泣ける肩をもっている人である。しかし、うれしいときには、いっしょに、思いっきり笑ってくれる人である。
真の友とは、苦しんでいるときに、彼のほおにも幾筋かの涙の航跡が見える人である。しかし、喜んでいるときに、その目にキラッと輝く星の見える人である。
真の友とは、慰めの言葉に痛みの震えのある人である。しかし、共に喜ぶ声にはメロディーのある人である。
真の友とは、長所をよくほめてくれる人である。しかし、欠点もよく忍んでくれる人である。
真の友とは、たとえ失敗しても少しも軽侮の色を示さない人である。しかし、失敗をくり返さないように助言を忘れない人である。
真の友とは、成果をあげたときには誇りに思ってくれる人である。しかし、失敗に終わっても恥には思わないでくれる人である。
真の友とは、成功を助けてくれる人である。しかし、その助力を主張しようとしない人である。
真の友とは、喜ばせれば満足に感じてくれる人である。しかし、失望させてもけっして恨まない人である。
真の友とは、痛いことでも言ってくれる人である。しかし、痛いことを言われてもおこらない人である。
真の友とは、おりいっての頼みごとをしてくれる人である。しかし、それをしてくれても恩着せがましさが全くない人である。
真の友とは、少しでも人の重荷を軽くしようとして助けの手を伸べる人である。しかし、それをさせてもらった事を特権としか感じない人である。
真の友とは、もてるものを与えつくす人である。しかし何を与えたか記録などもっていない人である。
真の友とは、すべての人に最悪のことを言われているときにも、最善のことを言ってくれる人である。
すべての人は、こんな真の友を少なくも四人はもつ必要がある。
そして、少なくも四人の人に対してこんな真の友になる必要がある。
ああ神よ、わたしをこのような真の友になさせたまえ。
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2006年4月27日(木) 「病気と闘うmikannさんへ」
私の父が直腸癌で医師から余命5年と宣告されたとき、また私の娘が大病を患い医師から完治は難しく、最後の特殊な治療で症状が軽くなる確率も3分の1と宣告されたとき、本当にショックでした。
人生の中であの時ほど真剣かつ必死に祈ったことはありませんでした。
初めのうちは「なぜ私の父が?」「なぜ私の娘が?」との苦しい疑問が頭をもたげましたが、すべてを天に委ねてできうる最善を尽くすと決心して祈る中、心がとても穏やかになり「父や娘は大丈夫!心配しないで」との熱くとても静かで強い確信を伴う思いで満たされるようになりました。
父や娘に関して、決してあきらめず最善を尽くすなら、物事は必ずよい方向へ向かうと確信しました。
私のことを心配したクリスチャンの友人は、聖典から次のような珠玉の3つの黄金言葉と詩をプレゼントしてくれました。
本当に励まされました。mikannさんにも紹介します。
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」
「イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、『先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか』。イエスは答えられた、『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。…』」→(時には因果の理法を越えた天の深い御心があると確信しました。)
「わたしたちが最善を尽くした後、神の恵みによって救われることを知っているからである。」
「足跡」
ある夜、ひとりの男の人が夢を見ました。
彼が主と共に浜辺に沿って歩いている夢を見ました。
彼の人生のいくつかの場面が空にぱっと映し出されました。
それぞれの場面において、彼は砂に残されたふた組の足跡に気づきました。
ひと組は彼のもの、そしてもうひと組は主の足跡です。
彼の最後の人生の場面が彼の前にぱっと映し出された時、彼は砂に残された足跡を振り返って見ました。
その時彼は、彼の人生の細道に沿って足跡がただひと組だけしかないということが何度もあることに気づきました。
しかも、それが彼の人生において最も落胆し、最も悲しみにうち沈んでいた時に起きたものであるということにも気づきました。
このことは彼を非常に悩ませたため、彼はそれについて主に尋ねました。
「主よ。あなたは、ひとたび私があなたに従うと決意するならば、生涯私と共に歩んで下さるとおっしゃいました。
しかしながら、私は私の人生におけるいくたびかの最も苦しい時にただひと組の足跡だけしかないのに気づきました。
私は、なぜ私が最もあなたを必要とした時に、あなたが私の許を離れて行かれたのか理解できません。」
主は答えて言われました。
「私の息子、私の大切な子よ。私はあなたをこよなく愛し、そして決してあなたから離れ去ったことはないのです。
あなたが試練に遭い苦しむ間、あなたがただ一組の足跡しか見なかったまさにその時、私はあなたをおぶって歩きました。」と。
心の奥底から本当に熱い力が湧き上がってきました。
信仰心の薄い私ですが、「神の業」が父や娘の上に現れるよう、すなわち神の恵みによって癒しを得られるよう最善を尽くそうと決心したのです。
多くの方々の祈りと励ましに支えられ10年間の治療の末に娘は完治しました。父も心臓のペースメーカーの手術をも経た85歳の今でさえ元気です。医師の余命5年の宣告はねのけ、15年以上にわたって畑仕事さえ続けてきました。
「天命」には私たちがどのように努めてもどうしようもないものがある一方、「信じ抜く心」と「自らの自由意志による最善の努力」によって「神の恵み」による「神の業の現れ」を目にするようになるものもあると知りました。
すなわち「信じ抜き」「最善を尽くして」「神の恵み」により「奇跡を起こし」「魂の癒し」を得ることが「天命」そのものであることもあるのです。
ロシアの格言に次のようにあります。
「神に祈れ、だが岸に向かって漕ぐ手を休めるな。」
どのような状況であろうと、どのような結果になろうと天にすべてを委ねつつ、しかし最後まで決してあきらめずにじっくりと養生・リハビリに努めるならば、いずれにしても必ずや自らの魂に「神の業の現れ」を目にすることでしょう。
この記事に貼りつけた2枚の花の写真は、猫に蹴散らされ折れてしまったベゴニヤの葉を挿し芽したものとブロック塀で芽を出し、移植した際に根が完全に折れてしまったインパチェンスの写真です。
小学校の教師をしている私の姪にお願いしてふたつを学校に持っていってもらい、たくさんの子供たちに世話をしてもらっています。
純真な子供たちは毎日水をやり、優しく「頑張ってね」と声をかけてくれています。
全く根がなく、枯れてしまうのではないかと心配もしたのですが、昨日姪から「かわいい花が咲きました」との写真付きのメールをもらいました。それがこれら2枚の写真です。
雨に打たれながらも懸命に咲いています。
2枚の写真が父と娘に重なって本当に感銘を受けました。
ベゴニヤとインパチェンスの花はまさに奇跡そのものです!
奇跡を信じて生きるとき、文字通り「魂の癒し」という奇跡を目にすることができます!!
私の6人の子供たちはmikannさんのために奇跡を信じて毎日祈っていますよ……。
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2006年4月26日(水) 「歌はいいもんだ−すてきな友達」
先日のブログで紹介した小6の息子からもらった楽譜綴りの中より、もうひとつすてきな歌を紹介します。
「すてきな友達」と題する歌です。
息子の小5の時の担任の先生が選んで子供たちに紹介した歌の中のひとつですが、その楽譜綴りの中は、先生のすてきな感性と子供たちへの温かな思いや望み、励ましが感じられるいい歌で満ちています。
そのような温かい目で息子たちを教え育んで下さった先生に心から感謝しております。
「すてきな友達」
梶原千鶴子
人はみんな だれでも
一人では生きていけないから
いつもすてきな友達と
この手を つなぐのさ
悲しいときも 仲間がいれば
つらくない
苦しいときも 仲間がいれば
つらくない
ぼくも きみも ときには
真っ暗やみに落ちて とまどうから
いつもすてきな友達と
愛と仲間 それさえあれば
つらくない
愛と仲間 それさえあれば
つらくない
このようなすてきな歌に出逢うたびに、私はなぜか青春時代の懐かしい記憶を呼び覚まされます。
あの頃歌った同じようなすてきな歌を思い起こしつつ、共に泣き笑い、共に学び遊び、共に青春を謳歌した仲間たちとの思い出が次々と脳裏を巡って本当にすがすがしい思いになるのです。
そこで、友人のひとりが「ケサラの歌」をもじって作った替え歌、仲間が集まれば必ずギターをつま弾きながらみんなで歌った歌も以下に紹介します。
これもなかなかいい歌ですよ。
「ケサラの歌」
1.君は何に 傷つき
ひとり うつむいているのか
さあ顔を上げて わらってみせて
明るい君が 好きさ
※ケサラ ケサラ ケサラ
つらく 淋しい時には
休みにおいで みんなの所に
僕らは永遠(とわ)の友だち
2.大きな声で 笑おう
大きな声で 泣こう
そう自分を真直ぐ 見つめて歩こう
二度と 帰らぬ今を
※ケサラ ケサラ ケサラ
強い愛で 結ばれた
私にはあなたが 君には僕が
そうさ みんながいるさ
3.世間が 何を言おうと
どんなに 非難を浴びようと
僕は君を 信じているよ
君はひとりじゃないさ
※ケサラ ケサラ ケサラ
光り輝く あの星を
めざして 僕らは生きているんだ
今日も 明日も いつも
※印を順を追って繰り返す
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2006年4月25日(火) 「離婚しないで!」
アメリカの第16代大統領アブラハム・リンカーンは次のように語りました。
「どんな女性と連れ添うことになっても、私は全力を尽くして彼女を幸福にしてやるつもりだ。この努力が失敗すると想像するだけで、私の心は大いに曇る。」
自分の伴侶を必ずや幸せにする! との彼の強い決意が感じられとても感銘を受けました。
トーマス・W・ラデーンも次のように語っています。
「永遠の結婚とは、実際のところ、完全な進歩をめざし、ふたりで助け合って成長しようと誓約することではないでしょうか。」
ところが現在神聖なはずの結婚の誓約はいとも簡単に破られ、幸福なはずの結婚生活の多くが破綻しています。
離婚件数は昭和39年以降毎年ふえ続け、46年には10万組を超えました。
その後もふえ続けましたが、58年をピークに減り始め、平成3年から再びふえ続けています。
平成16年の離婚件数はなんと27万組超です。本当に恐ろしい数字です。
2年ちょっとで、沖縄県の全人口約130万人と同じ数の離婚者が生じてしまう計算になります。
そして、その半数と同じ数の子供たちがとても悲しい思いを一生引きずって生きることになるのです。
「父親が息子に与えることのできるものの中で、母親を愛していると伝えることほど貴いものはありません。」
H・バーク・ピーターセン
男性の皆さん、どうぞ偉人リンカーンや上記の言葉を強く心に留めて、共に妻を愛し大切にしましょう。
「愛は盲目ではない。愛は人を盲目にするのではなく、
より多くのことを見えるようにするのである。
しかし、多くの長所が見えるので、
短所はあえて見過ごすのである。」
ジュリアス・ゴードン
「宝の箱」チャールズ・L・ウォリス編
「指輪や宝石は贈り物ではなく、贈り物の単なる代用品に過ぎない。
本当の贈り物はただひとつ、自らを捧げることです。」
エマーソン
夫婦の皆さん、互いに赦し、仕え合って、幸せな夫婦関係、幸せな家庭を築きましょう。
もちろん離婚が双方にとって救いとなるケースもあるのかも知れません。でも、でもそのような最悪の結果に至ることのないよう、また子供たちの心に消しがたい傷を残すことのないように、日頃からお互いの理解に努め、感謝を述べ、赦し合い、仕え合いましょう。
「いかなる成功も家庭の失敗を償うことはできない」のです。
デビッド・O・マッケイ
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2006年4月24日(月) 「母の黄金言葉(クガニクトゥバ)」
あまりにも多くを失い、生きていくのさえ精一杯だった沖縄の終戦直後の厳しい時代、子育てで大変だった母を支えた珠玉の黄金言葉がありました。
母の結婚そして子育てを温かく応援してくれた近所に住むオジーたちからプレゼントしていただいたという3首の琉歌です。
昨晩実家を訪問した私に懐かしそうに紹介してくれました。
どんなに苦しい中にあっても、親子の情愛と周りの方々との温かい情を持った交わりの大切さを諭すすばらしい歌です。
(1)産し育てぃ召しょち 御恩いちまでぃん
肝染みてぃ我身や 行かゆ御母
(ナシスダティミショチ グウンイチマディン
チムスミティワンミヤ イカユアンマー)
意味:産み育てて下さった御恩はいつまでも心に染めて
お母さん、私は嫁いでいきます。
(2)行く先や童 黄金倉建てぃてぃ
福禄と共に 育ち給れ
(イクサチヤワラビ クガニグラタティティ
フクルクトゥトゥムニ スダチタボレ)
意味:嫁ぎ先にて わが娘よ 黄金の倉を建て
幸福の中に 健やかに育ち日々を過ごしておくれ。
(3)倉に積み余る 宝ゆい勝てぃ
情尽しや 人間ぬ要
(クラニチミアマル タカラユイマサティ
ナサキチクシヤ ヒトゥヌカナミ)
意味:ただ、倉に積み余る 宝よりも勝って
誠と情けを尽くすことが
人として最も大切なことですよ。
普段はステテコ姿のどこにでもいるようなオジーたちが、時代がどのように変わろうとも、変わることなく多くの人々に共感され感化を与える金言を、何気ない生活の中でとても自然に出せるというそのことに本当に感銘を受けました。
それはオジーたちの心の深さそして温かさのなせる業なのでしょう。
母が、それらが記されている古く破れかけた紙を宝物のように大切に持っている理由がよく分かります。
母はそのような方々に囲まれて本当に幸せでした。
私は「黄金言葉」が大好きです。
それは単にそれらの言葉がすばらしいということだけでなく、それらを発した人々の人柄や生きざまを垣間見ることができ、それに感銘を受けるからです。
※「琉歌」とは奄美・沖縄・宮古・八重山諸島に伝承される叙情的
短詩形歌謡の総称。
短歌形式の琉歌は、8・8・8・6 の30音からなる定型短詩です。
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・歌は本当にいいもんだ−青春時
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